2016年3月23日水曜日

【声明】2.11反「紀元節」行動における機動隊の理不尽な規制とデモ妨害に抗議する


デモは権利だ! 恩恵ではない
2016年2.11反「紀元節」行動における機動隊の理不尽な規制とデモ妨害に抗議する


 私たち「安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反『紀元節』行動」は、今年も渋谷で反天皇制・戦争国家体制に反対する集会とデモに取り組んだ。

 この日は、集会会場近辺で奉祝派のデモもあり、右翼街宣車も押しかけるかとも予想されたが、デモの出発地点から離れたところで、在特会系のグループが街宣し、また集会中に徒歩で数名の右翼が登場したほかは、右翼の妨害は例年よりもひどいものではなかった。

 一方、この日の警察・機動隊の不当な規制は、度を越えるものであった。何ら正当な理由も必要性もない規制が、出発前から解散地点まで一貫して加えられ続けた。それはまさに、規制のための規制、規制を自己目的化した規制というべきものであった。

 警察の指揮者だけでなく、多数の警察官が絶えず宣伝カーの窓ガラスを執拗にたたき続け、「早く行け」「警告」と急がせた。それは運転妨害になるほどだった。デモ隊と宣伝カーが離されないよう、車の横について歩いていた実行委のメンバーは、警官に囲まれ車から引き離された。その結果、宣伝カーとデモ隊との間にすき間ができると、こんどはそれを理由としてデモの参加者の体を押して、早く進めと繰り返す。この不当なやりかたに抗議した監視弁護士さえ、私服警官に囲まれて歩道に押し上げられてしまった。念のために言っておくが、デモ隊はことさらに遅れていたわけではなく、急がされる理由などなにもなかった。しきりに急かすだけの警察官は、「デモの解散時間を知っているのか」という抗議にたいして答えられず、さらには、間違ってデモの進行方向とは逆に誘導しようとする始末であった。

 デモ隊全体に対して、機動隊の並進規制や、後方や真横からの圧縮(押し込め)が間断なくなされた。何人もの参加者が突き飛ばされた。途中で具合が悪くなったり、倒れこんだ参加者も出た。これに抗議した実行委のメンバーに対しては、「こいつらを歩かせるように指示しろ」と言い、なおも抗議すると「逮捕するぞ、警告!何時何分……」などと恫喝した。「許可条件を守れ、デモ隊は三列」と警官は繰り返していたが、実は「許可条件」は四列なのである。さらに三列どころか、デモ隊列は二列、一列にさえ押し込められていたのだ。また、「デモは交通の迷惑になる(から規制されて当たり前)」と言い放つ警官もいた。デモは車道を歩くものであり、それが交通に一定の支障を来すのはあたりまえのことである。そのことを前提にして、デモという表現の自由が尊重すべきものとされるのだ。法を遵守しなければならない警察官が言ってよいことではない。

 「今回のデモ参加者で、警官に押されたりさわられたりしなかった人間はいなかったのではないか」という感想が聞かれたが、これは決して大げさな話ではない。

 とりわけ今回ひどかったのが、警察によるデモの参加者に対する暴言や、侮蔑的な態度である。いつもであれば、デモ隊への妨害は同じであっても、口先だけは「詰めて下さい」「早く進んで下さい」と、表面上「笑顔」さえつくる。しかし、今回は「前に詰めろ!」「お前ら早く進め!」である。表面的な「ていねいさ」さえかなぐり捨て、その言葉つきにふさわしい態度と顔つきは一貫していた。若い機動隊員の中には、薄ら笑いを浮かべつつ、高齢の参加者を「はい、がんばろう!」と言いながら何度も押している奴もいた。実に許しがたいことだ。

 こうしたことのすべてに、私たちは何度も抗議をしたが、責任者然とした警官は「デモの許可を出してやったのは警察なんだから、お前らは言うことを聞け」と公言した。デモは憲法に保障された思想・表現の自由、基本的人権に属するものである。公安条例自体が不当なものだが、東京都の場合デモは届け出制であって、基本的に受理しなければならないものなのである。たしかに「許可証」は警察署長の名前で出るが、実際に「許可」するのは東京都公安委員会である。「警察がデモを許可している」などというのは、二重三重に間違った寝言である。

 私たちのデモは、高齢者や「障害者」も参加する、非暴力の市民のデモである。デモにたいして卑劣な暴力を繰り返す街宣右翼などを理由に、警察は陰に陽に、デモへの介入を目論んできた。しかし、今回はそのような右翼は登場しなかった。そのようなかたちでのデモ規制をすることを通して、警察がデモを徹頭徹尾規制していく訓練がなされたのではないかと疑う。今回、警備責任者は、実行委のデモ指揮者さえ無視して、デモ全体を警察の統制の下に進行させようとしたのだ。これは、いつものデモとも、大きく異なるやり方である。おそらく下部の機動隊員は、ただこのデモを急がせろ、規制しろという命令だけを受けて、それを「忠実」に履行するよう徹底されていたのではないか。多くの批判があるように、憲法を蹂躙して恥じない現在の安倍政権の強権的な姿勢が、政権に批判的な言論・表現は規制されて当然という心性を、警察官たちにも与え続けているのではないのか。

 今回の警備がこのようなものであり、私たちがそのターゲットとされたことのほんとうの理由は、知るところではない。しかしはっきり言えることは、今回のデモ規制が、われわれの権利としてある表現行為を妨害し、われわれが、われわれのペースとスタイルで街頭の人びとに対して訴えていく権利を侵害したということである。いま、全国各地で、さまざまにおきている街頭での人びとの抵抗や自己表現が、警察権力による不当な介入や弾圧の対象となり、それにともなう人権侵害も目立っている。そこに見られるのは、法を恣意的に運用し、人びとの行動に分断線を引く権力の無法である。

 繰り返すが、デモの主体はデモの参加者であり、表現の権利と自由を一片の行政権力が侵すことは許されない。警視庁、機動隊、私服・公安、そして今回のデモに係わった所轄の警備警察官に対して強く抗議し、二度とこのような不当な規制をおこなわないことを強く訴える。

 2016年3月22日
安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動

2016年1月12日火曜日

安倍戦争国家と天皇制を問う 2.11反「紀元節」行動に参加を!



▼講師   須永守(近現代史研究)
「戦争国家と天皇の『慰霊』」
 
▼日時 2016年2月11日(木)
13時15分開場 *集会後デモ
 
▼場所 神宮前穏田区民会館1F
地下鉄明治神宮前駅/JR原宿駅下車
 

…敗戦70年目の2015年は、日本国家が、アメリカ主導の戦争にいつでも、どこでも参加しうる戦争体制に、公然と踏み込んだ年となった。自衛隊が具体的な戦闘行動に参加し、殺し殺される関係へと入っていく危機は、かつてなく高まっている。さらに安倍は、2016年の参院選での「勝利」をバネに、改憲攻撃をさらに強めようとしている。憲法を無視し、現実的にそれを破壊しながら、他方で憲法それ自体をも変えていこうというのだ。
…この1月26日には、明仁天皇夫婦が、フィリピンを「公式訪問」する予定だ。マニラで歓迎式典やアキノ大統領との会見、晩餐会に出席し、日本政府が1973年にラグナ州に建てた「比島戦没者の碑」を訪れるという。日本の侵略戦争の結果、アジア太平洋戦争を通じてフィリピンではきわめて大量の死者が生み出された。圧倒的多数の民間人を含む、フィリピンの死者は111万人にのぼる。日本人死者も、地域別では最多の約51万8000人だ。兵士の多くが餓死であるという。
…戦争・戦後責任を一貫して果たさ戦後国家の象徴こそ天皇制である。決して責任者を名指ししない国家による死者の「慰霊・追悼」においては、死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」となる。こうして国家責任が問われることはなくなる。そして新たな戦争の死者も、「平和」のための死、国家のための死の賛美という点では、同様の位置づけをされることになるだろう。天皇を中心としてなされる、国家による「慰霊・追悼」を決して許さない。
…安倍政権による「戦後」総括と戦争政策、改憲攻撃と対決し、その中における天皇制の役割を批判しぬく反天皇制運動をつくっていこう。2016年の反天皇制運動の展開の第一波として準備される、2・11反「紀元節」行動の集会とデモへ参加を ! 


 安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動実行委員会
振替●00110-3-4429[ゴメンだ ! 共同行動]


【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村
反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター
連帯社/労働運動活動者評議会

2015年12月30日水曜日

2016年  2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ


 敗戦70年目の2015年は、日本国家が、アメリカ主導の戦争にいつでも、どこでも参加しうる戦争体制に、公然と踏み込んだ年となった。強行的に成立させられてしまった安保関連法案は、2016年3月29日に施行される。自衛隊が具体的な戦闘行動に参加し、殺し殺される関係へと入っていく危機は、かつてなく高まっている。さらに安倍は、「憲法改正をはじめ、占領時代につくられたさまざまな仕組みを変えていくことが(自民党)立党の原点だ」と述べ、2016年の参院選での「勝利」をバネに、改憲攻撃をさらに強めようとしている。憲法を無視し、現実的にそれを破壊しながら、他方で憲法それ自体をも変えていこうというのだ。

 戦後日本の「国体」といえる安保体制と象徴天皇制こそ、「占領」下で日米が合作してつくりだしたものにほかならない。しかし、安倍にとってはそれは否定されるべきものではない。いわゆる「戦後的価値」、平和主義や基本的人権を国家に「優先」させる思想こそ、安倍自民党が否定しようとしているものである。それらは、「私が責任者」と豪語する安倍の、国家主義的・強権的な政治手法と根本的に対立する。2015年秋に、国会前で叫ばれていたのは、こうした強権政治への否認であったはずである。

 他方、この1月26日には、明仁天皇夫婦が、フィリピンを「公式訪問」する予定だ。マニラで歓迎式典やアキノ大統領との会見、晩餐会に出席し、日本政府が1973年にラグナ州に建てた「比島戦没者の碑」を訪れるという。日本の侵略戦争の結果、アジア太平洋戦争を通じてフィリピンではきわめて大量の死者が生み出された。圧倒的多数の民間人を含む、フィリピンの死者は111万人にのぼる。日本人死者も、地域別では最多の約51万8千人だ。兵士の多くが餓死であるという。

 昨年四月、天皇は「激戦地」パラオを訪問し、死者の「慰霊・追悼」をおこなった。それは、「戦争という悲劇の死者に思いをはせ、戦争の悲惨さを心に刻む天皇」といった文脈で描き出された。だが、この多数の死者を生み出した戦争、その戦争をひきおこした近代天皇制国家の責任は、決して問われることはなかった。

 今回のフィリピン訪問においても、同じような語りが繰り返されるに違いない。占領下の天皇制は、戦後の象徴天皇制に衣替えし、戦争責任を回避しえた。戦争・戦後責任を一貫して果たさない戦後国家の象徴こそ天皇制である。決して責任者を名指ししない国家による死者の「慰霊・追悼」においては、死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」となる。それは国民こぞって追悼しなければならない。こうして国家責任が問われることはなくなる。そして新たな戦争の死者も、「平和」のための死、国家のための死の賛美という点では、同様の位置づけをされることになるだろう。天皇を中心としてなされる、国家による「慰霊・追悼」を決して許さない。

 この間、安倍の強権政治と比較して、天皇の「護憲・平和主義」が肯定的に言及されることが多い。しかし、天皇の役割とは、つねに、現実が生み出す社会的な亀裂を、観念的に糊塗し「修復」する機能を、国家の装置として果すことである。安倍政権による「戦後」総括と戦争政策、改憲攻撃と対決し、その中における天皇制の役割を批判しぬく反天皇制運動をつくっていこう。2016年の反天皇制運動の展開の第一波として準備される、2・11反「紀元節」行動への、多くの方の参加・賛同を訴える。